あいえすえすのだいありー

あいえすえすのだいありー

大学1年生です。140字では収まらないような事を書きます。diaryじゃなくてdialyになってるのは内緒

TOKIOの城島を召喚しなさい

 知識を蓄えると人生が楽しくなります。なぜならば、知識がなかったらちんぷんかんぷんでぼやけて見えてしまうようなものでも、知識を持っていればそれが何なのか理解することができはっきりと見えるようになるからです。例えば、同じF=maという数式をみても、知識がない人は「何だこれ」としか思えませんが、知識がある人は「これは運動方程式だ」となります。あるいは、同じガンダムのロボットを見ても、知識がない人は「ガンダムのロボット」としか思えませんが、知識がある人は「あーこれはアムロが搭乗した○○じゃん」(僕ガンダム知らないので具体的に語れませーん)となるのです。知識があるとより多くの話題あるいはより深い話についていくことができるようになります。知識がない人はついていくことができません。

 

 ここで無理にでも同じ領域で話をしようとするのはよくないです。たいていそのような場合、自分の無知が露わになってしまい恥をかくのがオチです。ぼくもかつてはいわゆる「知ったかぶり」をしてしまい後になって恥をかいたことがあります。これ以降、自分の知らない領域の話になった時は余計なことを言わずに人の話を聞くなり、後で勉強するなり、あるいは自分には縁がないと割り切るなりするのがいいと思います。

 

 しかしここでたちが悪いのは自分が無知であると自覚していながら物申す人です。こういった人たちの主張は無知であるがゆえに前提知識が抜けていたり事実誤認をしていたりするケースが多くただの邪魔です。しかもこういう人たちが誤った知識をもとに他人を批判したりするとぶっちゃけ迷惑です。ほかの無知な人たちが誤った情報を信じてしまうからです。しかもこの人たちは無知であることを免罪符だと思っている節があります。そのため専門家が否定したりすると、素人の主張如きになにムキになっているんだと文句を言ってくるのです。

 

 ところでTOKIOがDASH島でいろいろなことをする番組、「鉄腕DASH」の中のあるワンシーンがかつてTwitterで話題となり、フリー素材と化しました。それがこちらです。

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 この城島茂の何とも言えない表情とテロップの煽りが視聴者の心を掴んだのです(調べてみたら、この時、城島茂本人は『素人は黙っとれ』とは言ってないそうです)。

 

 そうです。素人が良くわかってもいないのに主張するのはよくありません。本を読むなりネットで調べるなり、様々なソースを見てある程度理解してから主張するようにしましょう。

 

 最近のTwitterではよくわかってもいない人が間違った事実をもとに批判するということがよくあります。こういうのをみかけたそこのあなた!!今こそこの城島茂を召喚すべき時なのです!!とりあえず、リプライにこの画像を貼り付けておきましょう。

夢破れても

 僕の中高時代の話を少しします。中高時代、周囲には優秀な人々がたくさんおり、将棋の全国大会で優勝しただの国際数学オリンピックでメダル獲っただので集会の時に表彰されることがしょっちゅうありました。そこまで大層な話まではいかなくても、一癖も二癖もあるクラスをしっかりとまとめる議長やプログラミングやデザインができるので文化祭の準備の時に重宝される同級生がいました。彼らは自分の得意な分野を見つけており、そこで戦っているという感じでした。

 

 その一方で自分にはこれといった分野がなく、周りを見ていて「あれ、自分このままではヤバいのでは?」と思い始めいろいろなことに手を出しました。音楽祭では指揮者やってみたり、体育祭では応援団をやってみたり、文化祭では劇の脚本を書いたりキャストをやってみたりと行事に対して積極的に取り組みました。しかし、どれも今一つという結果に終わってしまいました。僕の理想としては、例えば音楽祭の指揮者でしたら指揮者の分野で人に認められるようになって毎年音楽祭で指揮ができるようになる、文化祭のキャストでしたら演技の分野でみんなからうまいと言われるようになって毎年文化祭で演技力を発揮できるというものだったのですが、残念ながら僕にはこれらの分野に対する才能はなかったようです。

 

 そして今では動画編集が自分に合っているのではないかと思っており、PCをいじって新しく動画を作るとかいうことをやっています。まだ一つしか出来ていませんが、今後も作ってはこのブログで公開しようと思います。


勇者ノ巫女(進化系colors)

あ、Youtubeに上げたので見てね。

 

こっちはニコニコ動画

 

 すこし脱線しました。話を戻しますと、僕が中高時代にやったことと今僕がやっていることにあまり関係はありませんし、今僕は音楽や演劇に興味があるわけでもありません。結局僕が中高時代に取り組んだことって何だったのでしょうか。僕は頭の片隅でずっと悩んできました。

 

 しかし、つい先日以下の動画を観ました。名探偵コナン灰原哀などの役で知られる声優の林原めぐみさんが同じ声優の洲崎綾さんとともにリスナーからの質問に答えていくといった内容でした。


【深イイ話】灰原哀(CV:林原めぐみ)「3年やっても芽が出なかったら声優辞めてた。」←夢に向かって頑張ってる人必聴!

 この動画では、夢を追っていたけど挫折しちゃってそれ以来自分のことを否定し続けているというリスナーの悩みに林原さんが答えていくのですが、彼女はここで「夢に向かっていた過程全部は自分の筋肉となっている」のような内容を述べていました。また、彼女の養成所時代の同級生に主婦になった人がいましたが、養成所で学んだことが子供への読み聞かせとかで活かされているとも述べていました。僕はこれを聞いてハッとしました。

 

 思い返してみれば、例えば音楽祭で指揮者やった時にクラスをまとめようとすることはどんなに大変な事か身をもって知りました。そのためリーダーの大変さを理解することができるようになり、グループで何かをするときもリーダーを支えていこうという意識が芽生えるようになりました。また、僕がこのブログを書き続けていられるのも、脚本を書いたときのことが活かされているからかもしれません。このように自分の経験は思い描いていたのとは違う形だったとしても役立つことがあります。

 

 というわけで僕の中高時代の経験は無駄ではなかったのです。

 

 きっと。

 

 多分。

ネト充になるためにもリア充にならなくてはならない

僕の夢はネト充になることです。具体的には、このブログをより多くの人に読んでもらったり、Youtubeに動画をアップロードしてそれを多くの人に見てもらったりしたいです。そして、PVや再生回数が増えればそれはそれで嬉しいですし、欲望に忠実な人間なので広告収入が入ったりしたらおいしいなと思ったりもしてます。

ただ、そのためにはまずこのブログの存在を多くの人に知ってもらわないことには始まりません。僕はもともとTwitterをやっていたので、ブログを更新してはTwitterでシェアする事を続けていました。そしてつい最近、Instagramを始めてみることにしました。今のところ全く投稿していないのですが、これからブログの広告塔として使ったり、あるいは他の人たちと同じように写真をアップしたりしていこうかなと考えてはいます。

とはいえ、今までInstagramを使ったことがないのでどんな投稿がされているのかあまりわかりませんでした。ということで覗いてみると、みんなテーマパーク行ったりタピオカ飲んでたり友達とウェイウェイしたりとキラキラした人生を送ってるなぁと思いました。これらを見ると自分の人生の中でInstagramに投稿できる瞬間などほとんど存在しないのではないかと思いますね。

こう考えるとInstagramにいっぱいキラキラした写真を投稿していいねをもらっているような人々は人生充実してます。逆に人生が充実していない人はあまりInstagramに投稿出来るような内容がないので、あまりこういったSNSに写真をあげたりしないのです。

これは何もInstagramに限った話ではありません。Twitterだって、リアルで多くの人と話したり多くの場所に行ったりした方が当然ツイートできる内容も多くなってくるわけです。TwitterInstagramと違い写真や動画をアップロードしなくても投稿できるので別にダラダラした生活を送っていても呟けるには呟けるのですが、それでもリアルが充実している人のツイートの方が面白いし当然いいねももらいやすくなるわけです。そしてこのブログだってそう。いつもブログのネタを考えている僕ですが、こういったものって友達との会話からふと思いついたり、どこか行って何か経験して思いついたりすることが多いです。やっぱりリアルを充実させないとブログのネタを見つけるのは難しいのです。

というわけで、リアルでも色々なことをやって見ることで、ネットも充実させることができます。これからもこのブログを書いていきたいので色々なことをやってみたいと思います。


でも今月金がない。

ぬいぐるみ

 僕には、僕が生まれた時からずっと一緒だった「ゾウのアオゾーラ」というぬいぐるみがいました。アオゾーラは僕の宝物でした。一緒に布団で寝ていましたし、勉強で疲れた時はアオゾーラを抱いて休んでました。僕はアオゾーラと18年以上もの間共に過ごしてきました。

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写真はネットから引っ張ってきたやつです

 

 ところが、僕が一人暮らしを始める時に荷物になるのが面倒だからというしょーもない理由でアオゾーラを実家に置いてきてしまいました。別れる時に「6年後に僕が立派になってまた家に戻ってくるからそれまで待ってて。」とアオゾーラに語りかけながら・・・。

 

 それから2か月以上が経ちました。一人暮らしは常に孤独であり、どことなく寂しいです。というわけでつい先日、新しくクジラのぬいぐるみを購入することにしました。

 

 名前は「シュペー」にしました。名前の由来はドイツの巡洋艦の「アドミラル・シュペー」からです。僕は別に戦車や戦艦に興味があるわけではないのですが、ちょうど「ハイスクール・フリート」というアニメを見たばっかりでその熱が冷めていなかったので、作中に出てきた巡洋艦の名前から付けました。

 

 シュペーが家に来てから10日ほど経ちましたが、彼のおかげで孤独感が和らぐようになりました。さらに彼と布団で寝るようになってからどことなく安心感がわいてきました。

 

 などと僕の体験を話したのですが、やっぱりぬいぐるみって可愛らしいし一緒にいると落ち着くんですよ。しかもペットと違って一度購入してしまえば、その後エサ代などが一切かからないし。そういうわけで、みなさんも家にぬいぐるみを置いてみるのはどうでしょうか。

 

 ところで今月末に一度実家に帰ろうと思っています。そのついでにアオゾーラを僕の家に連れて行こうかな。

悲しみの行列

 タピオカが世間で流行しており、タピオカの店にいるおじさんキモいだとか、タピオカ飲みすぎた中国の女の子の体内に大量のタピオカが見つかっただとか、兎にも角にもタピオカが話題になってます。僕がこの前五月祭に行ったときも、タピオカの屋台の多いこと多いこと。いろいろとあって僕は五月祭だけでタピオカを5,6杯程飲みました。タピオカってあれデンプンの塊に過ぎないのになぜかおいしいんですよね。タピオカミルクティーたるものを最初に考えた人は天才だと思います。

 さて、そんな世間でブームとなっているタピオカ。とある人気が高いタピオカ店では行列ができており1、2時間も待つこともあるそうです。今回はこの行列について考えてみようと思います。

 僕は基本的に行列が嫌いです。なぜなら行列に並んでいる時間は生産性がないからです。足も痛くなるし。先程、タピオカ店で1時間以上も待つことがあると書きましたが、僕だったらその1時間を使って自分の趣味に打ち込みたいです。基本的に行列が嫌いである僕はテーマパークもそんなに好きではありません。昔、ディズニーランドに行ったことがあるですが、後日よくよく考えたらディズニーランドで過ごした時間のうち大半が行列待ちに費やしているのではないかという真理に気づいたとたん、テーマパークはコスパが悪いなあと思ったことがあります。

 しかし、つい先日このブログを読みました。

www.nakajima-it.com

 このブログによると行列に並んでいる間に友達とおしゃべりすることはプライスレスであり、楽しい思い出であると書かれています。なるほど、タピオカの時もテーマパークの時も待っている間に友達と楽しくしゃべっている。それはとても幸せなことであり、楽しかった思い出として10年後、20年後にも残っているのかもしれない。みんなでディズニー行ったね、楽しかったねといった話を同窓会の時とかでするのかもしれない。これってものすごく幸せなことなんだなと気づきました。

 僕も行列に並ぶことは生産性がない時間と捉えるのではなく、友達とともにおしゃべりをして絆を深める時間として考えてみようと思いました。今度行列に並んだ時は友達と一緒に・・・





いや、僕そもそも友達と一緒にどっか行くとかいうことしねえわ。





 そうです。僕は基本的に何事においてもマイペースであるため、あまり人を誘うということをしません。僕はカラオケが好きなのですが、僕の好きな曲のジャンルがみんなとずれているため、カラオケはヒトカラのほうが好きです。また、僕がテニス始めた理由は、テニスは基本的に個人競技なので足の引っ張り合いとかがあまりないからです(ダブルスの場合を除く)。さらに僕は自分で自分の好きなように計画を立てることができるからという理由で旅行は一人で行く派です。GWの時、一人で九州旅行に行きました。福岡タワーに「恋人の聖地」と呼ばれる場所があり、そこでは恋人同士が手をつないで2か所あるパネルを二人で1つずつ押すとハートが光るという仕掛けがありました。そこで僕はあろうことかひとりでパネルの同時押しをしてハートを光らせるとかいう悲しい業を決めてきました。なーにが恋人じゃ。

ちなみに、セルフタイマーで撮りました。悲しすぎる。

 つまりは、僕は基本的に一人で行動するため、タピオカやテーマパークの行列など苦しみ以外の何物でもないというわけです。これまで何でも一人行動を好んでいた僕ですが、テーマパークなど行列ができそうなところには友達を誘って行くほうが楽しいかなと考えを改めるようにしました。実際に友達との絆も深まるし、思い出としても残るのでみんなで行動するのも楽しいのかもしれません。僕がテーマパークに行きたい、あるいは大人気のお店に行きたいと思ったときは友達を誘っていこうと思いますので、いいよって言ってもらえたら嬉しいな。

東大生とピラミッド

みなさんは東大生に対してどのようなイメージを持っていますか?天才、真面目、変人、プライドの塊、コミュ障、服のセンスがダサそう、色々とあると思います。それらに対して、東大生と言うだけで世間から必要以上に期待をかけられたり変なレッテルを貼られたりするのが辛いという東大生の心の声をツイッターでちょくちょく見かけます。今回はこれらについて考えてみようと思います。

東大生は変人だとかいう話をよく聞きますが僕は懐疑的です。僕の高校から東大に行った人がいます。彼らの中には確かに変人と呼ばれるような人もいましたが、総じて普通の人でした。僕は2,3週間ほど前に五月祭に行って高校同期に会ったり、また彼らの知り合いの東大生の方々と話をしましたが、変人と思えるような人はおらず話していて楽しかったです。そもそも東大は毎年3000人程が卒業して社会進出しているわけですし、そんな彼らが皆変人だったら日本は少なくとも毎年3000人の変人を社会に出しているということになります。東大生の中にはエリートコースを進んで官僚になる人もいます。そんな変人に日本の舵を切らせたら日本はとっくの昔に滅びているはずです。そういうわけで僕は東大生変人説に疑問を抱いています。

それではなぜ「東大生=変人」という印象を抱いてしまうのでしょうか。2つの理由があると思います。1つは劣等感の裏返し、そしてもう1つはマスメディアだと思います。

世間にはどうしても他人を粗探しをしないと気が済まないという人が一定数おり、彼らにとって東大生はどうしても攻撃の対象にしたくなるのです。以前、Wakatte TVが東大生だったか東大理系かあるいは理三か(事実関係のうろ覚え)を「服が3種類しかなさそう」とか評して炎上しましたが、あれはおそらく東大生には勉強では負けてるという劣等感から東大生の粗探しをしようとして言ってしまったのではないでしょうか?

また、マスメディアが東大生の中の極一部の変人を取り上げてしまいがちなのも原因だと思います。彼らからすれば「まじめに勉強して努力して東大に入りました。自分の真面目な性格を活かして東大でも努力を続けていきたいです。」という東大生を撮っても何にも面白くありません。それよりも「近くにあったので東大を目指しました」という東大生を撮った方が面白い。その結果、東大生のアウトローばっかりを取り上げるようにあり、視聴者は皆東大生は変人だと錯覚するようになると思います。

今まで東大生のマイナスのイメージに焦点を当ててきましたが、プラスのイメージにも少し焦点を当てたいと思います。東大生には(良い意味で)やばいやつしかいない、ろくに勉強もせずに才能だけで受かった人しかいないという話を聞きますが、僕はそれにも懐疑的です。東大に受かった僕の同級生は確かに頭は良かったですが、努力して東大に入った人が大多数ですし、一部の数学オリンピック化学オリンピックでメダル取った奴を除いて普通の人だと思います。また、東大の受験も1点が合否を分けることはよくある話でもう一度受験をしたら合格者の半数が入れ替わるともいわれているので、ろくに努力しなくても東大余裕で合格という人などほとんどいないと思います。

僕が思うにこのイメージもマスメディアによるものがあると思います。「東大王」とかの番組に出る東大生は皆、ずば抜けており、知識も豊富なので視聴者は東大生には「東大王」に出ているような人しかいないと思うようになるわけです。さらにこれは先ほども述べましたがマスメディアとしても努力を続けて東大に受かった人よりも、1日1時間の勉強で東大に受かった人を取材するほうが面白いのでそういった人を多めに取材するようになり、彼らがマジョリティーだと錯覚させてしまうわけです。

ここで東大生の学力について考えてみようと思います。多少の例外はあるにせよ、基本的に受験は頭からいい人から受かっていくものであり、また受験生はなるべく高いレベルの大学に入学しようとするため、以下のようなモデルを考えます。

 

・大学Aに受かるために必要な学力をa(a>0)とするとき、学力がa以上の受験生はみんなAに受かり、a未満の受験生はみんな落ちるとする。
・受験生はなるべく高い学力を必要とする大学に入学しようとする。たとえば、大学Aに受かるための学力をa、大学Bに受かるための学力をb、受験生Cの学力をc(a<b<c)とするとき、受験生Cは大学Bに進学する。

・東大は日本最高峰の大学である。

 

さて、このモデルで考えてみましょう。

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上図の場合、受験生MはA大学B大学の両方に行くことができるけどC大学は厳しいという状況にありますが、より高い大学に入ろうとするためB大学に進学します。B大学にはM君と同じようにB大学には行けたけどC大学には行けないような同級生が集まります。

 

 このモデルで東大を考えてみます。

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 上図はこのモデルを東大に当てはめた図です。この図を見ると一部のレベルが高すぎる東大生も一般的な東大生も同じ東大にいることになります。マスコミは、一部のレベルが高すぎる東大生を好んで取材しようとするため視聴者は東大には一部のレベルが高すぎる東大生みたいな人しかいないと錯覚するのです。

 

 結論として、マスコミが東大生のイメージに大きな影響を与えていることがわかります。実際の東大生は変人で近寄りがたい人などほとんどいないので、皆さんもおびえることなく普通に接していきましょう。

「プロメア」を観に行って来ました。


昨夜、映画「プロメア」を観に行ってきました。映画の感想でも書いていこうかなと思います。以下盛大にネタバレを含みます。とりあえずここに「プロメア」を観たほうがいいとだけは書いておきますので、まだ観てない人はブラウザーバックをお勧めします。






















それでは書いていこうと思います。この文章を読んでいる人は既に観た人しかいないはずですが、一応あらすじを書こうと思います。

ある日突然、自分の意思とは関係なしに身体から炎を噴出する「バーニッシュ」と呼ばれる人間が誕生して世界が混乱に陥ります。それから30年後、なんだかんだで混乱は収まりつつあり、バーニッシュが引き起こした火災を始末するための「バーニングレスキュー」と呼ばれる消防隊が活躍しています。主人公のガロはバーニングレスキューのルーキー。かつて自分をバーニッシュ火災から救ってくれた司政官クレイを尊敬し、街を守るという信念を持っています。そんなある日、ガロはバーニッシュで構成されたテロ集団「マッド・バーニッシュ」のボス、リオと戦うことになります。リオとの戦いの中でバーニッシュも人間であるということ、バーニッシュは炎を燃やし続けなければ生きていけないこと、バーニッシュであるというだけで不当に差別を受けているということ、そして、ガロが尊敬していた司政官のクレイがバーニッシュを人体実験に利用しているという事をガロは知ります。さらに、クレイから地球が半年以内に滅びるということ、そのために地球を脱出する宇宙船の計画が進行しているが、その燃料がバーニッシュの炎であるということ、燃料となったバーニッシュはやがて死ぬということを聞かされます。ガロはバーニッシュを犠牲にする計画に怒りを覚えます。一方その頃、クレイによる、燃料とするためのバーニッシュの捕獲計画も進行してました。ガロはこの計画を阻止するためにリオと協力してクレイと戦うという感じです。ここからバーニッシュがどうして生まれたのか、地球はどうして滅びようとしているのか、そもそもタイトルの「プロメア」とは一体何なのかなどが明らかになっていくのですが、めんどくさいので割愛します。

ここから感想を書こうと思います。

アツい。

この一言に尽きます。作画といいセリフといいBGMといいカッコよかった。そこから繰り広げられる戦闘シーンはアツかったです。

まず、初出キャラや必殺技の名前が背景に出てくる。これがまたカッコいい。

また、ガロとリオの戦闘シーンもカメラワークのおかげでものすごくカッコよく仕上がってました。ガロの掛け声といい、装備といい、僕の中の中学2年生を燻るようなものばかりでした。

アクションシーンばかりではなく、ストーリーもちゃんと構成されたものとなっており、バーニッシュへの不当な差別を社会の状況を上手に描写することによって浮き彫りにしてますし、さらに伏線もちゃんと回収されているところも評価が高いです。

そして最後の戦闘。少し間延びした感が否めませんでしたが、序盤の戦闘シーンで見せた技を進化させてまた出してきたのはアツかった。ガロとリオの共闘も見ていて胸が熱くなりましたし興奮が止まりませんでした。

この映画に文句をつけようと思えばいくらでも付けられます。アクションものあるあるですが、最後にガロの気合と根性でどうにかするところは無茶苦茶だといえば無茶苦茶ですし、近未来的な世界なので都合よく技術が存在しているかと思いきや、肝心なところでは技術が追いついてないとなっているところは少し無理があるかなと思います。どう考えても、船をワープさせるよりも地球のマグマを抑える方が簡単なように思えますし。それでも、アツく興奮するような展開の中ではどうでもよくなってしまうのです。あまり深く考えずにただ熱を感じ取る。これが「プロメア」の正しい見方なのです。

というわけで皆さん。「プロメア」を観に映画館に足を運んでください。