あいえすえすのだいありー

あいえすえすのだいありー

大学1年生です。140字では収まらないような事を書きます。diaryじゃなくてdialyになってるのは内緒

いままでありがとうございました&今後について

 お久しぶりです。ISSです。ここしばらく記事が書けてませんでした。すみません。

この流れで言うのもおかしい気がしますが、このブログを書くのをやめようと思います。

 

 

 

 何言ってんだコイツ!?と思った人もいるかもしれません。ただ、これはマジです。このブログを書くのをやめようと思います(2回目)。とりあえずやめようと思った理由と、このブログや僕の今後について話そうと思います。

 

1.やめようと思った理由

 まずやめようと思った理由について。このブログを始めて記事をいろいろと書いてきて満足してきましたが同時にある思いもありました。それは、

 

「自分オリジナルのサイトを作ってそこでブログだけでなくいろんなことをやってみたい。」

 

 というものです。はてなブログは確かにブログのサイトとしてはよいものですが、どうしてもブログに特化している以上、他の使い道を見いだせないでいました。さらに、このブログのURLもdairyではなくdialyとスペルミスしており正直みっともないとも思っていました。実はこのブログを更新していなかったここ2か月ほどの間、僕は新しいサイトを作っていました。そしてとうとう完成しました。今後は新しいサイトでブログを書いていこうと思います。

 

国際宇宙すてーしょん←こちらが新しいブログのサイトとなります。よろしくお願いします。

一応ブログの更新は僕のTwitterのほうで告知していこうと思っていますので、よろしくお願いします。

Twitter←僕のアカウント

2.今後の「あいえすえすのだいありー」について

 というわけで今後はブログはこちらには書かずに新しいサイトに書こうと思います。 ただ、新しいサイトの記事を書く時にこのブログの記事のどれかを参照にすることがあるかもしれませんのでこのブログは残しておくことにします。

 

 

というわけで読者の皆様、いままで「あいえすえすのだいありー」を応援して下さりありがとうございました。これからは「国際宇宙すてーしょん」で頑張っていこうと思います。よろしくお願いします。

 

リカバリー力

 一昨日から北陸一人旅行を楽しんでるISSです。今僕はマンガ喫茶にいます。つまり、マンガ喫茶のPCでこのブログを書いています。ほかにマンガ読むなり楽しみ方はあると思うのですが、結局こんなブログを書くことをしています。まあいいや、これでも自由を満喫できてると感じるし。


 さて、予定では僕はこんなマンガ喫茶ではなく長岡のホテルにいる予定でした。なのに僕は今、さっきからずっと言っているようにマンガ喫茶にいます。そうなってしまった経緯やこれらを通して学んだことを書いていこうと思います。

 まず今日は富山駅周辺を軽く見た後、黒部ダムに行きました。などと簡単に書きましたが、富山駅から黒部ダムまで行くのはものすごく時間がかかります。電車で一時間バスで一時間その後いくつものケーブルカーやロープーウェイなどを使って移動したので黒部ダムにつくのに3時間以上かかりました。これ信じられ無いのですが富山駅黒部ダムも同じ県にあるのに移動に3時間以上かかるのです。まじかよ。東京横浜間なんて県またぐのに1時間あればいけるぞ。さて、3時間以上かけて向かった黒部ダムは絶景でした。黒部ダムは想像していた以上に巨大であり、また飛び出す水の勢いもすさまじかったです。真上から水が落ちる光景を見たときはあまりの高さに恐怖で震えました。

 さて、僕は黒部ダムに予定よりも長くいました。そしていざ黒部ダムから富山駅へ、そして富山駅から長岡に行くという段階で本来乗るはずだった電車がもう来ないことに気付きました。一応長岡まで行くルートはあるにはあるのですが新幹線を2回も使わなければならずクッソ高い料金を払わなければならないという状況になってしまいました。大ピンチ。この状況で僕はとても悩みました。この状況を打破するための最善策は何かを。そして下した判断は、ホテルはキャンセルして(料金は返ってこない)新幹線を使わずにどこかマンガ喫茶がある駅で降りようというものでした。これがトータルで考えて一番お金を使わなくて済むと考えました。正直、この判断を下すのには勇気がいりました。せっかくホテル代を払ったのにそれが無駄になってしまうからです。それでも僕はこの判断が一番お金をつかわずに済むと考えて決断をしました。今冷静になって考えてみましたがこの判断はベストであったと思います。これが僕が今マンガ喫茶で泊まっている経緯になります。

 今、改めて思い返してみますと今回の一連の事件の中で僕は人間が生きていくうえで大事な力を発揮したとおもいます。それは、「判断力」と「決断力」、そして「リカバリー力」です。あ、最後の奴は僕の造語です。最後の文字は「ちから」なので「りかばりーりょく」と読みます。「りかばりーか」ではありません。

 まず、判断力。判断力が生きてくうえで重要であることは当たり前といえば当たり前ですが、いざ判断力を求められる状況になったときになかなか正しい判断を下すのは難しいと思います。特に今回、僕自身が少しパニックになってましたのでこのような状況でも正しく判断を下せるようにするべきだと思います。

 次に、決断力。これもよく重要であるといわれます。ただ、決断をするには相当な覚悟がいります。今回の場合ですと、マンガ喫茶を利用するということはすなわちホテル代が無駄になるということを意味しますし、そうなると躊躇してしまいがちです。この決断力をつけるために僕は一番良いとおもったらすぐに実行することが大事であると思います。カエサルルビコン川を通過するときに「賽は投げられた」と言ったことは有名ですが、このように賽を実際に投げることが決断力をつけることにつながると思います。

 最後に、リカバリー力。ハプニングというのは想定外のものであり、そのようなことが起きるとパニックになってしまい正しい判断や決断を下すことができなくなりがちです。このような状況で落ち着いて対処して次善の策を探し出す力、すなわちピンチの時に判断力と決断力を発揮できる力をリカバリー力と呼んでいます。人間誰でもミスはします。重要なのはミスをしたあとにどれだけうまく対処できるか、つまりどれだけリカバリー力を養っているかだと僕は思います。この力をつけるにはとにかく落ち着くことが大切です。そして落ち着くために一番重要なことは「焦っても状況は変わらないからこの中で最善の策を探すべきだ」と考えられるようになることだと思います。

 などと、ここまで偉そうに語ってきましたが、そもそも僕がもっと乗り物の時刻を把握していれば今回の事故は防げたはずです。これからはもっと入念に準備をして旅行に行こうと思います。

感情の波に呑まれてはいけない

煽り運転をした上に人を殴った男が逮捕されたそうです。まあ逮捕されて当然でしょうね。煽り運転の何が楽しいのでしょうか。車運転したことのない僕には全くわかりません。

さて、この男が人を殴っている映像が公開された当初からネット上では義憤に駆られる人々が多くいました。さらにネット民が調査したことによりこの人は過去にもこのようなことを繰り返していたらしいことが発覚すると、この人への怒りは強くなってきました。そして今回逮捕に至ったわけです。僕はこの人に厳罰を望みます。そりゃ煽り運転は危険ですし、常習犯だそうですし、おまけに人を殴って怪我を負わせましたので厳罰に処すべきでしょう。法律をよくわからない僕の感覚だと懲役7〜10年+罰金いくらかって言ったところでしょうか。法律に詳しい方、コメント欄でご指摘願います。

ただ、ネット上では死刑にしろとの声が一定数挙がっています。法律に詳しくない僕ですが流石に死刑は行き過ぎだと確信を持って言えます。人を一人殺したケースですら死刑になる事はあまりないのに、ましてや煽り運転を何回かやって人を殴った程度で死刑になるのは滅茶苦茶な話ですし、罪刑法定主義にそぐわないと思います。

多分、こういった発言をする人はこのことを分かっているとは思います。流石に煽り運転程度で死刑になるのはおかしいと。しかしどうしてこのような発言をしてしまうのでしょうか。

僕はこれはネットの感情の渦に飲み込まれてしまったからだと思います。Twitterで犯人の男が殴ったり煽り運転をする映像が上がる、それに対して犯人に対する怒りのリプライが飛んでくる、さらに犯人の黒い過去が発覚する、それに対して怒りのリプライが飛んでくる、これらのツイートを見て行くうちにだんだんと犯人に対する怒りが湧いてくるのです。それでも見続けてしまうと怒りの感情に呑まれてしまい、つい感情的になってしまうのです。

と言うわけで、ネットを身過ぎて感情の波に呑まれないように気をつけましょう。主な対策方法としては、波に呑まれそうになったらネットから離れることです。深呼吸して落ち着いてからもう一度ネットに戻ってみましょう。大分冷静になれるはずです。

最後に少し関係ない話を。今ではそういった動画に広告がつかなくなったそうなので減ったようですが、一時期Youtubeで「〇〇が放った衝撃の一言に一同驚愕!!」とか「〇〇が××した理由がヤバすぎる!!」とか芸能人の裏側(ほとんどデマ)を伝える動画が流行していました。そのサムネの中から今回の件に関係しそうなものを拾ってきました。

こういう動画で収益を得る人には腹が立ちますが、サムネは面白いので、こういったサムネだけをこの人たちにはこれからも作ってもらいたいです。

改革が進まない理由

昨日までテニス部の合宿がありました。合宿を通して僕の中で成長できたと思える部分もありましたし、先輩やOBの方々から色々とアドバイスを頂きましたのでこれらを活かしていきたいなと思ってます。ちなみに明日から旅行に行きます。明日の朝に6時に起床しないとヤバイというスケジュールを組んでしまいました。まあ、合宿もそんな感じだったし何とかなるやろ。

さて、そんなテニス部の合宿なのですが、この合宿の中に飲み会がありそこで1年生男子は自己紹介とともに一発芸を披露するという風習があります。僕を含め同期の男子は皆、嫌がるわけです。先輩に相談する同期もいるのですが、大抵「僕が一年だった時もやったから頑張って」と先輩はおっしゃるわけです。この飲み会は合宿の最後の方に開かれるので合宿の間一年生男子はネタをどうしようかと不安な気持ちで過ごすわけです。

僕はこの時に、日本で改革がなかなか進まないのは「不公平感」が足枷になってしまっているからではないかなと考えました。どこかで何かを改善しようとなると改善された世代と改善されなかった世代という2種類の世代が生まれてきます。一度そういうのが生まれると改善されなかった世代が不満を抱くわけです。また、基本的に改善されなかった世代は改善された世代より年上で力を持っているケースが多いため、改善された世代が生まれないように改革が行われなくなるというわけです。この一発芸の場合だと例えば僕の代から一発芸しなくていいとなるとそれまでやっていた先輩たちが不満を抱く(僕の先輩にそんな心が狭い方はおりませんが)可能性があるから続けられていくというわけです。似たような例ですと、PTAの負担を減らそうとかの話になった時にそれまでPTAで働いていた人が「不公平だ!」と主張するがために改革が進まないとかでしょうか。

https://news.livedoor.com/article/detail/16313750/

と、ここまでが一発芸をする前の感想です。実際に一発芸をやったらやったで楽しかったですし、先輩達も笑って下さりましたし、飲み会は盛り上がったしで良かったと思います。始まる前は緊張しましたがいざ終わったら意外とあっさりしておりそこまで気負う必要もなかったかなと思います。だからまだ見ぬ後輩に気楽にやりましょうってこの場を使って伝えておきます。

最後に。このブログは僕の同期にも存在を認知されており、テニス部の同期にも読者がいます。そいつらに一言言いたいことがあるので物申します。一発芸で俺のモノマネをした奴許さんぞ。

僕は新海誠に完全敗北した


 お久しぶりです。ISSです。前期のテストも終わり今日から夏休みになりました。みなさんの中にはもうすでに夏休みという方も多いと思いますがどのようにお過ごしでしょうか。

 実は昨日新海誠氏の新作、「天気の子」を観に行きました。結構話題作となっており僕も前から観たかったのですが正直言うとみるのを躊躇していたところもありました。結構前から僕のブログを読んでいらっしゃる読者さんならご存知だと思いますが、僕は過去に同じ新海誠氏の作品である「君の名は。」を観たことがあり、そして「君の名は。」をあまり好きになれませんでした。そこら辺の詳しい内容は「『君の名は。』とサイレントマジョリティー」を見ていただければわかると思います。

iss-no-dialy.hatenablog.com

 さて、ここからざっと感想を述べていきたいのですが、正直自分の中で考えが纏まってない部分も多々あり映画全体の感想を詳しく述べるのは今回は難しいです。また別の機会にこの映画の感想をもっと詳しく書くことができたらなあと考えてます。また、ネタバレを含むのでまだ見てない人々はこのページを閉じることを推奨します。というわけで僕はいつものようにEnterキーを連打しますのでその間にページを閉じてください。

































 僕の中でこの映画が良作だったかどうかまだ決められない部分が多いのですが、少なくとも「君の名は。」よりは良かったとおもいます(『君の名は。』が好きな方々ごめんなさい)。まず前作と違いOPが映画の雰囲気をぶち壊すことなくスムーズに受け入れられていったと思います。OPが個別としてあるのではなくあくまで映画の1場面のBGMとして存在しているのは前作と異なり良かったと思います。また流れるタイミングも淡々と流れていく新しい生活の日々の場面だったのでそのシーンを飽きずに見続けていられるというところも良かったと思います。

ストーリーなのですが見ている途中までは典型的な「セカイ系」なのかなと思ってました。目の前の大切な人を救うか、それとも世界をすくうために大切な人を犠牲にするか。陽菜ちゃんに死んでほしくない、陽菜ちゃんが人柱にならないと東京の異常気象は収まらない。僕はこの手の作品をこれまでいくつも見てきました。例えば「魔法少女まどか☆マギカ」では主人公の鹿目まどかは自分の身を犠牲にすることを引き換えにすべての魔法少女が救済される世界を生み出しましたし、「結城友奈は勇者である」では主人公の結城友奈が自分が生き残ることを選びつつも世界を救うという結末になりました。この2つの作品に共通して言えることは、大切な人がどういう形であったとしても、少なくとも世界は救われているということです。しかし「天気の子」は違いました。主人公の穂高は陽菜に生きてもらう代わりに東京の天気を狂わせたままにするという選択をとりました。これ以降雨はやむことなく降り続け、いくつかの街は水没するという「ハイスクール・フリート」みたいなことになってしまいました。おそらく僕の実家も沈んでます。

 途中まで見ていてすごく気になっていたのは、穂高が陽菜をあきらめるという選択肢を取ろうとしなかったことです。陽菜が家を出ていかなくてはならなくなった状況でも、警察に捕まってしまった状況でも、穂高は陽菜を救う事ばかり考えてます。僕はここら辺のシーンを見ていて少し冷めてました。好きになった女の子のためにこれだけがんばれるとかどんな強メンタルなんだよと。

 しかし、最後東京が水没することになっても陽菜に生きてもらうことを選んだのをみて一つの答えにたどり着きました。ああ、穂高は東京が水没することを代償にしてでも陽菜を選ぶくらい彼女のことが好きなんだなと。

 ここで僕の前回の記事を読んでいただきたいです。

iss-no-dialy.hatenablog.com

 この記事は僕が彼女を作りたいと思わない理由について書かれてます。その理由は彼女を作るということは何かしらの代償を要するものであり、その代償を払うのが嫌だからといったものです。ただ、ここで言う代償とは自分の自由時間が減る、彼女の気を使わなくちゃいけないのがしんどいといったものでした。

 それに比べての穂高。東京を代償にしてまでも日菜を彼女にすることを選びました。そのスケールの大きさは僕が先ほどの記事で述べた代償とは比較にもなりません。もし穂高君が先ほどの記事を読んだならきっと鼻で笑うことでしょう。

 結局、新海誠氏の作品、「天気の子」はこの一点において僕の考えるスケールをはるかに超えるものでありました。僕はこんなにスケールが大きい恋というものの存在を知らなかったのです。完敗です。かくして僕は新海誠氏に完全敗北したのでした。

 以上が僕の大まかな感想になります。ただ、この作品はまだまだ議論の余地がある作品だと思います。僕もこの作品への見識をより一層深めていきたいと思っていますので、「天気の子」を観た人で僕と語り合ってくださる方募集してます。見識が深まれば、このブログの「天気の子」の感想記事がもう少し増えていくかもしれません。よろしくお願いします。

彼女を作ることは魔法少女になることである

【CAUTION】今回の内容は、陰キャのやせ我慢と思われそうな内容が含まれております。読んでて少しでも見苦しいなと思ったら精神汚染される前にこのページを閉じるか、コメント欄に罵詈雑言残して去っていくことをおススメします(悲しい)

 男子校で中高6年間を過ごし、大学に入ってもう3か月がたちましたが、未だに彼女ができる気配はありません。理由といえばいたって単純で、僕自身に彼女を作りたいという意思がないからです。今回は、そんな僕が彼女を作るということについて考えてみます。

 まず、僕が彼女を作ろうと思わない理由について話します。一つ目に、自分のやりたいことに時間を使いたいと考えているからです。具体的にはこのブログの執筆活動、テニス、そして動画編集です。


勇者ノ巫女(進化系colors)
これ観てね。


ニコニコ動画

 あ、そういえば最近シガーボックスというものを再開してみることにしました。中学2年生以来やってなかったのですがあれ結構楽しいです。

 話を脱線から戻します。今あげたように僕にはやりたいことがたくさんあり、それやっているだけで人生充実しているのであえて彼女を作ろうとはなかなか思いません。また、彼女を作ったら彼女のために時間を費やすことになり、何かしら僕のやりたいことが失われてしまうような気がします。今のところ僕にとってそれは嫌なのでそこまでして彼女を作ろうとは思わないのです。

 二つ目に彼女のことを気遣うのが大変だからです。万が一僕に彼女ができたら、デートの時に彼女を気遣うのはもちろん、彼女が僕に対してどういったことを求めているのかも考えなくてはなりません。例えば、一般に女子は彼氏がクソみたいなツイートをすることを望んでないはずです。さて、僕のツイートはどうでしょうか。

なんだ、このクソツイのオンパレードは。僕が女だったらこんなクソツイするような奴を絶対彼氏にしたくないです。彼女を作るのであればこういったクソツイを自重しなくてはなりません。でもクソツイ楽しくてやめられない。

 ここで僕が好きなアニメの話をします。みなさんは「魔法少女まどか☆マギカ」(以下まどマギ)をご存知ですか。2011年のアニメなのでもう8年ほど経っていますが今でも根強い人気がある作品です。以下まどマギのネタバレを含みますのでブラウザバックしたい方はどうぞ。













 










ざっとまどマギの世界の解説をします。魔法少女が魔女を倒すために戦う、キュウべえが女の子を魔法少女に勧誘する、キュウべえは女の子の願いを「なんでも一つかなえる」ことを条件に女の子を魔法少女にして戦わせるというわけです。ただそんなうまい話などあるわけがなく、魔法少女が魔女と戦うときに魔力を消費する、魔法少女の魔力がそこを尽きるとその魔法少女は魔女になる、キュウべえ魔法少女が魔女になる瞬間に得られるエネルギーをこの世界を動かすのに当てているという秘密が隠されていたわけです。要するに魔法少女は願いを一つかなえてもらえることの代償として魔女になる運命を背負うことになったのです(ただこれはキュウべえがろくに説明もせずに勧誘しているのが主な原因です。キュウべえはゴミ)。

 彼女を作るということも同じような事なのではないでしょうか。彼女を得たことの代償として自分の趣味に充てる時間が減る、彼女のことを気遣う必要が出てくる、クソツイができなくなる。まあこの代償をでかいと捉えるかそうでもないと捉えるかは人それぞれだと思いますが、僕にはでかすぎる。流石にまどマギの代償と比べたらショボいですが十分キツイ。これだったらまだ彼女作らずにいたほうがいいなーと今のところは思ってます。

 結局僕が言いたかったことはこれです。

キュゥべえ「さあ、ISS――その魂を代価にして、君は何を願う?」
ISS「僕は…」
ISS「はぁ…ふぅ…」
ISS「僕の趣味を認めてくれて、クソツイをすることを許してくれて、変に気遣いもせず気楽な関係でいられるような、そんな彼女が欲しい」
キュゥべえ「――!」
キュゥべえ「その祈りは――そんな祈りが叶うとすれば、それは時間干渉なんてレベルじゃない!」
キュゥべえ因果律そのものに対する反逆だ!」
キュゥべえ「はっ」
キュゥべえ「――君は、本当にリア充になるつもりかい?」
ISSリア充でも何でもいい」
ISS「今日まで彼女を作ろうとしてきた陰キャを、希望を信じたオタクたちを、僕は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい」
ISS「それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる」
ISS「これが僕の祈り、僕の願い」
「さあ!叶えてよ、インキュベーター!!」








叶うわけないか・・・